ぼくの映画評のぼうよみ

映画の感想を書き散らしてるだけ。

俺、もうハエでいいや。~『マッキー』

隣家の娘ビンドゥに2年間も片思いを続けるポジティブなストーカー青年ジャニ。女たらしの悪徳建設会社社長スディープもビンドゥに惚れるが、彼女が実は2年間無視し続けたジャニに惹かれていることに気づき、邪魔者のジャニを殺してしまう。自分の気持ちに気づき嘆き悲しむビンドゥに迫るスディープ、そこに敢然と立ちはだかるのは、ハエ(ヒンドゥー語で「マッキー」)として生まれ変わったジャニだった。いま、ハエ男(というかただのハエ)の復讐がはじまる…!という、ゴースト×ザ・フライなインド産アクションコメディ映画。

と、あらすじを書くだけでもだいぶ素敵な映画だが、キャッチ―な歌(マッキマッキマッキーが頭から離れない)とダンス、地味な物語のわりにド派手なアクション、ハエ視点の世界の描写のユニークさとスピード感にワクワクしっぱなしの2時間強。

ハエになってからのジャニはセリフやモノローグは一切なし。動きとときおり挿入される歌だけでハエの感情をいきいきと描くのに成功しているし、観ているうちにだんだん感情移入してしまう巧さ。腕立て伏せやダンベル上げをするシーンの可愛らしさにやられ(もちろん全部CG)、「I WILL KILL YOU」と車窓に書くシーンやシャンデリアの破片が飛び散るなか突撃していくシーンのカッコよさにはしびれてしまう。ハエがカッコ良いだなんて、すごい映画だ。

しかし人物描写はツッコミどころ満載で、生前のジャニは大好きな彼女が他の男とデートしていても笑顔で自分をアピールするほどポジティブ馬鹿だし、2年間ほったらかしてデートすらしたことのない男の死をいつまでも引きずったかと思いきや、ジャニがハエに生まれ変わったと知るやスディープ殺しという彼の復讐に協力するビンドゥもアタマがどうかしている。だって、ハエに協力して人間を殺そうとするんだよ?スディープも社会的に抹殺されるくらいハエに悩まされ続けたのは解るが、ハエ退治のためにビンドゥを人質にとり、ライフルをぶっ放すという大人気なさ。そういったバカバカしさを全部勢いで呑み込む剛腕っぷりもこの映画の魅力のひとつだろうが。

しかしビンドゥはハエと暮らして幸せなのだろうか。男が彼女に近づくたびにハエに殺されかけるわけで、ジャニの生まれ変わってもストーカー気質な部分はやはりホラー感がある。

 

 

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豆をぶつけたくなる映画~『青鬼』

節分なので、それっぽい映画を観ようとジャケからして地雷臭がプンプンする『青鬼』(2014年 日本)を借りてきたわけだが、案の定のクソ映画。

古びた館で青鬼から逃げまわる脱出ゲームの映画化ということだが、僕は原作未体験なので、そのエッセンスをどれだけ取りこぼしているかについては解らないが、粗雑で辻褄のあわない脚本とありきたりな恐怖演出、安っぽい青鬼のCG、大根役者そろい踏みと、単純に映画として見れたものじゃない。

また、映画としてのクオリティ以外にもなかなか酷いポイントがあって、いじめられっ子の転校生シュンのことをヒロインの杏奈(AKBの人だそうです)だけは、自作ゲームを褒めたりとかまってくれるんだけど、二人きりで河原で遊んだときに、そっと手を握ったりと、モテない男なら絶対「これイケるんじゃね!?」ってアガるようなアプローチをするわけです。

それが物語の終盤、彼女がかまってくれる理由は異性としての好意を抱いていたから、ではなく、いじめを苦に自殺した弟に似ているからだったという残念な事実が明らかになり、さらにシュン自身の不幸な事実も発覚するという、非モテ男子へ不幸の二連コンボという、鬼のように厳しい映画なのです。

あとヒロインともう一人のヤク中JK、そんなに短いスカートで走り回ってパンツが見えないのは不自然すぎませんかねぇ!?

本作はどこまでも非モテに厳しい鬼映画なのであった。

 

 

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さよなら、ミス・ワールド~『カート&コートニー』

一昨年ころからだろうか、UKを震源地として、グランジのあらたなムーブメントが世界のロックシーンに起きつつあるようだ。代表格はもちろんダイナソー・パイルアップだが、個人的には粗削りで、土臭くて、ニルヴァーナのような初期シルバーチェアのような手触りのタイガーカブが一番気に入っている。

ニルヴァーナに特別な思い入れがあるわけではないが、高校時代の僕が洋楽に傾倒するきっかけになったバンドのひとつではある。そこからフー・ファイターズやホールを聴くようにもなった。

そんなニルヴァーナのボーカリストカート・コバーンの死の謎に迫るドキュメンタリー映画が『カート&コートニー』(’98年 イギリス)だ。

カートの衝撃的なライフル自殺は、当時から他殺説がつきまとっていたようで、本作もその線で、しかも妻コートニー・ラブの陰謀説に沿って取材を進めている。

カートにギターを教えた叔母、カートが描いた絵(グロい!)を見せてくれる元カノ、シアトルの友人たち、実の娘の凶暴性を指摘するコートニーの父親、「もう一人のカート」となりえていたかもしれないコートニーの元カレのバンドマン、カートの他殺説を唱えて独自捜査をする探偵、コートニーにカート殺害を依頼されたバンドマン、そしてコートニー本人への直撃取材と、精力的な取材で構成されているが、コートニーからの圧力によって共同出資者が手を引き撮影の継続が困難になるわ、カート殺害を依頼されたバンドマンも取材後に謎の事故死をとげるわと、映画のように(映画だけど)へヴィな展開にハリウッドの闇を見る思いだ。ちなみにニルヴァーナの音源やライブ映像はコートニーの許可が下りず、本作では一切使われていない(ホールもしかり)。

結論からいえば真相は闇の中なのだが、状況証拠的にはコートニー陰謀説が有力に見える。カートの叔母や友人など自殺説を信じる人たちも取材しているが、コートニー関係の取材対象が全員彼女を悪しざまに言っている点が印象的。そういった人たちを選んで取材したといえばそれまでだが、周囲から愛される素朴で心優しい青年として描かれるカートとは対照的に、実父からも見放されたエネルギッシュで上昇志向の塊のような猛女というコートニー像は、それはそれで悪の魅力のようなものを僕は感じるのだが。

恵まれない家庭環境で育ち、長じてはヤク中のストリッパー。スターを夢見るが、女は日の目を見れないロックシーンで才能のある男をつかまえロックスターに仕立てていくコートニー。一度は失敗したもののカートという才能を見つけて見事にスターダムへ躍り出る。しかも自分のバンドも売れ、女優としてハリウッドにも進出し、セレブの仲間入りを果たす。彼女の半生は悪女が成り上がる一代記のようだ。関係者の証言は一様にカートは熱烈にコートニーを愛していたという。しかし、コートニーにとって彼は出世の道具でしかなかったのでは、と思わずにはいられない。

カートの死の数週間後にドロップされたホールの2ndアルバム『Live Through This』。彼女たちの最高傑作だと思うし、多くのリスナーは、カートに「生き抜いて」ほしいというコートニーの思いと、それに反する結果となった二人のロマンスの幕切れにドラマを感じ、涙しているのだろう。しかしカートの死がコートニーの陰謀だったとしたら、あのセンチメンタルなアルバムを僕らはもう同じ感動をもって聴くことができなくなるだろう。

コートニーのことばかり書いてしまったが、カートの死後も同棲していたマンションで彼の絵を飾って暮らし、愛おしそうに彼との暮らしを語る元カノ(”About a Girl”のモデルらしい)や、カートの他殺説を立証することに情熱を燃やし事務所も倒産してしまった私立探偵、娘を殺人犯と断じて徹底抗戦の構えを崩さない偏執的なコートニーの父など、遺された人びとの人間模様も味わい深い。

コートニー陰謀説を信じるかどうかは観る者次第だが、ニルヴァーナ周辺の人間模様を切り取ったドキュメンタリーとしては一見の価値がある作品だ。

 

 

カート&コートニー [DVD]

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開けた世界の閉じた旅~『ダージリン急行』

父の死後、不和になった兄弟が結束を取り戻すべく、そしてヒマラヤの修道院に隠遁する母に会うために、寝台列車でインドを旅するロードムービー。個人的には初ウェス・アンダーソン

仕切りたがりの長男と、離婚を考えている嫁の妊娠に動揺する次男、女にだらしない失恋中の三男という凸凹トリオな三人が、些細なことで衝突したり、現地の景観を堪能したりしているうちに徐々に絆が深まり、それぞれが抱える問題に向き合うようになっていくという、ありきたりで特別な波乱もない凡庸な物語なのだが、自分勝手でかみ合わなかった三人の距離が縮まっていく過程は意外と違和感がないし、何よりセンス抜群な音楽の使い方と、冒頭とラストの列車に飛び乗るシーンの対比、三兄弟が列車を降りる前に順々に窓から外をのぞいていくシーンなど、シンメトリカルな演出が醸し出すポップ感、そして修道院から望む朝焼けや村の葬式など映像の美しさ等々、評価すべき点は多い。

特に美術は、インドが舞台ということもあってか独特で、ダージリン急行の車体やターバンを巻いた車掌、なんでこんな田舎の村の家がこんなにポップでお洒落なんだとツッコみたくなるターコイズブルーの壁等々、エキゾチシズムに溢れている。

現実のインドはもっと汚くて猥雑だなんて、ツッコむだけ野暮だろう。三人の主人公はインドに振り回されることで成長するわけではなく、あくまでもお互いと母親との会話でそれぞれの問題に向き合い、自己完結してしまう。

三人が関わる主なインド人は、三男がゆきずりセックスをする車内販売のおねーちゃんと、川で溺れていたところを救ったり救えなかったりした子どもたちとその遺族くらいで、それらはあくまでも元カノや父の死を喚起する触媒にすぎない。

たぶん、舞台はインドじゃなくてもよかったのだろう。日本でも、アフリカでも。リアリティよりエキゾチシズムこそが重視される。欧米人の想像するエキゾチックな異郷を訪れ、郷愁に浸りつつ自分を振り返る、ただそれだけの映画。

父の死後、なぜ兄弟が不仲になったのか、なぜ母は修道院に隠遁するのか、僕が行間を読めなかっただけかもしれないが、たぶんその辺の理由もどうでもいいことで、雰囲気にひたって映像と音楽を楽しめれば万事オーケーなのかもしれない。

 

 

 

荒野のハンディキャップドヒーロー~『ハチェット無頼』

片腕ドラゴン然り、座頭市然り、ハンディキャップドヒーローには男子を燃えさせる何かがあるようで、最近僕がハマった『百人の半蔵』も主人公が隻眼だったりする(しかもその潰れている方の目に釘を刺して戦う!)。

タランティーノロバート・ロドリゲスも好んだように、時代劇やカンフー映画などアジアの映画ヒーローには時々そういったヒーローが登場するが、欧米の映画には上記のインスパイア組以外ではいないのかというと、実は西部劇にもハンディキャップドヒーローは存在する。

それがマカロニ・ウェスタン後期の傑作といわれる『ハチェット無頼』(’77 イタリア)である。

斧が得物の賞金稼ぎ「マンナーヤ」(イタリア語で「斧」の意)は、立ち寄った鉱山町で鉱山の幹部ボレルをカード賭博で破り、恨みを買ってしまう。鉱山主マッゴーワンの娘を狂言誘拐したボレルの罠にはまった「マンナーヤ」は、瞼を釘で留められ直射日光にさらされ両目を潰されるが、洞窟に潜み石を磨いて手斧をつくり、復讐を果たそうとする、というストーリー。

冒頭からの煽情的なテーマ曲、泥まみれのアクションと『続・荒野の用心棒』を彷彿とさせる作風で、「マンナーヤ」の投げた手斧で賞金首の手首が斬り飛ばされたりと暴力描写もしっかりしている。

マッゴーワンの娘が乗る駅馬車が襲撃されるシーンでは、鉱山町でのフレンチ・カンカン(?)の巡業で盛り上がっているシーンと逐一画面を切り替えて同時進行し、音楽はカンカンを流し続けるという、『ゴッド・ファーザー』のような演出でしびれる。ほかにもマッゴーワン家の荷馬車を敵対するドルマン一味が強奪するシーンでは、ドルマン一味の者が自分の馬から荷馬車の馬へ、走行中に飛び乗る曲芸めいたアクションを見せてくれ、「モンゴル兵ってこうやって替え馬に乗ったのか…」と映画の内容と関係ない感慨を抱いたり。

また、スラリとした長身のダンディーで常に二頭のド―ベルマンを従えるボレルや、車椅子に乗った老権力者マッゴーワンなど、敵キャラもなかなか立っているが、それ以上にやはり盲目の手斧使いという他では聞いたことのない「マンナーヤ」の異色すぎるキャラが良い。しかし目を潰されてからあまり訓練していないはずなのにスイスイ手斧を命中させすぎだろ…。

ツッコみどころはあれどハンディキャップドヒーローとしての様式美、さんざん痛めつけられた後の復讐のカタルシスと、泥まみれなのに観ていて爽快な佳作である。

ところで『百人の半蔵』の主人公の目の釘って、この作品の影響じゃないよね…?

 

 

ハチェット無頼 [DVD]

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ピースでポップな不適応忍者の遊園地デート~『RED SHADOW 赤影』

『SF サムライフィクション』の中野裕之が今度は忍者を主役に、またしてもピースでポップな時代劇映画を撮った!

 

…と煽られても、天下泰平の江戸時代が舞台だった『SF』ならば厭戦家の侍も違和感なく受け入れられるが、ときは大小の大名や忍者勢力が麻のごとく入り乱れる戦国時代。傭兵稼業の忍者が平和主義なんて嫌な予感しかしないぜ、と思いながらも麻生久美子見たさに鑑賞。結果的にいえば、僕の嫌な予感は半分あたって、半分はずれた。

 

戦国時代の近江を舞台に、野心家の津川雅彦ひきいる東郷家と、老当主が没し孫娘である若き女城主のオキメグをいただく京極家の争いを背景に、両家に仕える忍者軍団の暗闘を描く時代劇。横山光輝の『仮面の忍者赤影』が原作ということだが、未読のため比較はできない。 

主役たる東郷家の影軍団は、身体能力は抜群なのに人を殺すことを嫌う赤影(安藤政信)、粗忽者で女にだらしなく、人を殺しただけで動揺する青影(村上淳)、セクシーなミニスカ網タイツ姿を披露してくれるが、くノ一として必須な「敵忍者からの辱め」というイベントをこなすこともなく死んでしまう飛鳥(麻生久美子)と、およそ忍者としての適性に欠く頼りないメンツ。ボスの白影もいつもどおりの高低差テンションで個性派をきどる竹中直人の平常運転だ。

対する敵側、京極家に仕える根来忍者も、藤井フミヤ扮する乱丸以外は青影に輪をかけたような失敗続きのドジでマヌケな三下ばかり。敵城への侵入では一番活躍した飛鳥も、その三下の一人に斬られてあえなく最期をとげるし、なんというか忍者映画なのに登場する忍者がほぼ全員だらしない。

アクションについてもスーパーナチュラルな忍術合戦はなく、バク転したり手裏剣を投げあうだけで、リアルといえばリアルだが、ポップな映画を目指すならもうちょっと工夫があってもよかったんじゃないか。

現代的な台詞回しやゴリッとしたロックなBGMは監督の作風として承知のうえで観ているのであまり気にならないし、さすがに映像は悪くないが、あまりにも忍者失格な面々と盛り上がりに欠けるアクションとストーリー展開、上滑りするぬるいギャグでポップさを打ち出す演出と、欠点ばかりが悪目立ちしてしまうのはいかんともしがたい。

 

ただ、そんな本作にも 魅力はあって、それが二人の女優、前半のヒロイン麻生久美子と、後半のヒロイン奥菜恵である。

麻生久美子扮する飛鳥は赤影青影の幼なじみであり、身軽さをいかした敵城への侵入やネズミの鳴きまねが得意なくノ一だが、唇をすぼめていたずらっ子のような表情でチュッチュッと鳴く彼女の可愛いことといったら!

ミニスカ網タイツという映画的に正しいくノ一スタイルでスレンダーボディを存分に魅せつけてくれるのも眼福。とくにミニスカをまくり上げて男の視線を誘った隙に金的を蹴り上げる油断大敵の術はなんかもう、好きなだけ蹴り上げてくれ!っていいたくなるよね。

マンガやゲームでよく見るようなトラップだらけの京極城への潜入では、赤影は彼女とシーソーに乗ってキャーキャー騒いだりして、楽しそうだなお前ら!アトラクションか!と、罠にかかっているのに逆にうらやましくなる。

そもそも京極城へ向かう道中から赤影と飛鳥は馬にべったり2人乗りしてデート気分か!お前ら、たまには青影のことも思い出してあげてください…。

そんなキュートな彼女は、赤影と相思相愛ながらも任務中に非業の死を遂げてしまう、ありがちな役どころなのだが、この忍者映画のくせに異常に人死にの少ない作品で敵のモブ忍者の凶刃に倒れるという運の悪さというかドジっ娘ぷりにはわたくし涙を禁じ得ません。京極城への潜入では一番役に立っていたのに、赤影と乱丸の手裏剣合戦を、サッカーで活躍する彼氏を応援する女子みたいなノリでながめてたり(さっさと逃げろよ!)、赤影のピンチに身をさらしたり、やはりくノ一である前に女だったのか、と悲しいようなホッとするような。

後半のヒロイン、赤影がスパイする京極家の新女当主のオキメグは父母や祖父が亡くなり、男として生きていくことを志す気丈な姫として描かれるのだが、セリフが棒読みすぎて唖然となる。

しかしこの棒読み具合がなぜだか彼女の天真爛漫さを強調する効果があり、謎の魅力を発揮している。赤影の本名を知り、連呼するさまが無邪気で可愛い。

また、オキメグが山で山賊に囲まれ、乗馬鞭で敵の尻を打擲するシーンがあるのだが、もう何このプレイ!?そりゃ山賊もニッコリ笑顔だよ!!

 

ともあれ時代劇映画、忍者映画としてはお寒い出来の本作だが、ヒロインだけは可愛く撮れていて、もう美女2人とキャッキャウフフする安藤政信がうらやましい!(血の涙)

そういえば『SF』でも年甲斐もなく緒川たまきが可愛かったなあと思い出した。もしかしたら中野裕之は女優を可愛く描くことだけは上手い監督なのかもしれない。

 

 

RED SHADOW 赤影 [DVD]

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