ぼくの映画評のぼうよみ

映画の感想を書き散らしてるだけ。

さよなら、ミス・ワールド~『カート&コートニー』

一昨年ころからだろうか、UKを震源地として、グランジのあらたなムーブメントが世界のロックシーンに起きつつあるようだ。代表格はもちろんダイナソー・パイルアップだが、個人的には粗削りで、土臭くて、ニルヴァーナのような初期シルバーチェアのような手触りのタイガーカブが一番気に入っている。

ニルヴァーナに特別な思い入れがあるわけではないが、高校時代の僕が洋楽に傾倒するきっかけになったバンドのひとつではある。そこからフー・ファイターズやホールを聴くようにもなった。

そんなニルヴァーナのボーカリストカート・コバーンの死の謎に迫るドキュメンタリー映画が『カート&コートニー』(’98年 イギリス)だ。

カートの衝撃的なライフル自殺は、当時から他殺説がつきまとっていたようで、本作もその線で、しかも妻コートニー・ラブの陰謀説に沿って取材を進めている。

カートにギターを教えた叔母、カートが描いた絵(グロい!)を見せてくれる元カノ、シアトルの友人たち、実の娘の凶暴性を指摘するコートニーの父親、「もう一人のカート」となりえていたかもしれないコートニーの元カレのバンドマン、カートの他殺説を唱えて独自捜査をする探偵、コートニーにカート殺害を依頼されたバンドマン、そしてコートニー本人への直撃取材と、精力的な取材で構成されているが、コートニーからの圧力によって共同出資者が手を引き撮影の継続が困難になるわ、カート殺害を依頼されたバンドマンも取材後に謎の事故死をとげるわと、映画のように(映画だけど)へヴィな展開にハリウッドの闇を見る思いだ。ちなみにニルヴァーナの音源やライブ映像はコートニーの許可が下りず、本作では一切使われていない(ホールもしかり)。

結論からいえば真相は闇の中なのだが、状況証拠的にはコートニー陰謀説が有力に見える。カートの叔母や友人など自殺説を信じる人たちも取材しているが、コートニー関係の取材対象が全員彼女を悪しざまに言っている点が印象的。そういった人たちを選んで取材したといえばそれまでだが、周囲から愛される素朴で心優しい青年として描かれるカートとは対照的に、実父からも見放されたエネルギッシュで上昇志向の塊のような猛女というコートニー像は、それはそれで悪の魅力のようなものを僕は感じるのだが。

恵まれない家庭環境で育ち、長じてはヤク中のストリッパー。スターを夢見るが、女は日の目を見れないロックシーンで才能のある男をつかまえロックスターに仕立てていくコートニー。一度は失敗したもののカートという才能を見つけて見事にスターダムへ躍り出る。しかも自分のバンドも売れ、女優としてハリウッドにも進出し、セレブの仲間入りを果たす。彼女の半生は悪女が成り上がる一代記のようだ。関係者の証言は一様にカートは熱烈にコートニーを愛していたという。しかし、コートニーにとって彼は出世の道具でしかなかったのでは、と思わずにはいられない。

カートの死の数週間後にドロップされたホールの2ndアルバム『Live Through This』。彼女たちの最高傑作だと思うし、多くのリスナーは、カートに「生き抜いて」ほしいというコートニーの思いと、それに反する結果となった二人のロマンスの幕切れにドラマを感じ、涙しているのだろう。しかしカートの死がコートニーの陰謀だったとしたら、あのセンチメンタルなアルバムを僕らはもう同じ感動をもって聴くことができなくなるだろう。

コートニーのことばかり書いてしまったが、カートの死後も同棲していたマンションで彼の絵を飾って暮らし、愛おしそうに彼との暮らしを語る元カノ(”About a Girl”のモデルらしい)や、カートの他殺説を立証することに情熱を燃やし事務所も倒産してしまった私立探偵、娘を殺人犯と断じて徹底抗戦の構えを崩さない偏執的なコートニーの父など、遺された人びとの人間模様も味わい深い。

コートニー陰謀説を信じるかどうかは観る者次第だが、ニルヴァーナ周辺の人間模様を切り取ったドキュメンタリーとしては一見の価値がある作品だ。

 

 

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